ポイントは切り替わった

2月・3月と有休消化の期間を経て、4月に入って新会社で働き始めた。

結局、仕事の引き継ぎでずっと2月・3月は「カレンダー上休んでいるが、リモート勤務は継続している状態」がずっと続いて、あまり休んだ気がしなかった。とはいえさすがに馬鹿みたいに平日毎日開催される会議は全部キャンセルさせてもらって出なくなった。これだけで身体的・精神的な拘束感は非常に少なくなったが、一方で一部なかなか引き継ぎができない(次の担当者が決まらない)案件が出て、冷や汗をかかされる始末だった。

自分が3月末まで業務を続けること自体は百歩譲っていいとして、4月から本当にどうする気なんだろう、と上長の出方をうかがうしかなかった。

有休を消化し始める2月頃に知ったのだが、自分の所属している部は自分の他に、さらに3名が4月までに退職することが決まっていたのだという。離職率が相当低い会社でこの体たらくなので、おそらくこの部の管理職は社長室あたりから大目玉を食らっているはずだ。そんなわけで自分が持っているどうしようもない(収益性は悪くないが非常にステークホルダーが多くて責任が重く業務内容は複雑で、複雑さが目立ってしまうことで社内での評判が悪い)案件の後任の選定には、非常に苦労していたということだったのだ。情けないことこの上ない。

とはいえ何とか3月中旬に引き継ぎの体制が決まり、大急ぎで様々なデータやワークフローを後任に説明して引き渡すということになってしまった。

こうなってくると当然、自分の後任として回ってくる人間の質などたかがしれている。あまり詳しくここで言いたくないほどだが、退職までの2週間を切っている状態で、社内で優秀「ではない」人間へ引き継ぎをするのには、七転八倒させられた。

そんなさなか、3月末あたりに、社内でお世話になった人には挨拶メールでも出そうかと思ったが、何となくその気が起きなかった。結果、本当に消えるように退職した。もともと愛社精神などかけらもなかったが、最後まで不必要な苦労をさせられることに辟易して、社内への礼を尽くす気力がなくなってしまったのだ。たぶん。

退職に対しては何の感慨もない。15年働いたが、驚くほどに。(これとは別に、クライアントにはきちんと退職の旨は連絡している、もちろん)

ひとけがない駅からすっと電車が出て行くように旧職場から離れ、人生は分岐器を経て、支線へと分かれていった。4月というポイントを超える瞬間も特段何か振動などがあったわけでもなく、そのまま列車は走り続けている。

次の会社はなんせとてつもなく小規模な故に、案件が全部社長に集中していて、担当者のアサインという概念がない。そのため、これから完全に新規で入ってくる案件が出ない限りなかなか自分が担当する業務というものが発生しないので、今のところお手伝いさんのような仕事のしかたをして日々過ごしている。

今まで散々「ミスったら全部自分の責任、なんなら週刊誌のゴシップのいいネタになる」ような業務だったのに、そこから急にふんわりした仕事に切り替わって、給料泥棒のような気分がどうしても抜けない。(給与水準は旧職場のものを概ね維持していて、端的に言うと「生活するには悪くない」収入なのである)

ろうそくの炎をふっと消すように前の仕事場から消え、すぐに炎がともることもない。自分の中の仕事に対する余熱がそろそろなくなってきそうなのだが、これでいいのだろうか。

そのうちどうしようもなく大変になるだろうという気もしているし、今はこれでいいのかもしれない。